5/27/2003

『memory trace』 -3-

【BL系ショートストーリー】

700HIT・風儀蘭様のキリリクです。お題は「泣くカイちゃん」
ソル&カイが誘拐事件に挑む話。旦那すっかり子守役(坊や限定)

*-*-*-*-*




 闇。
 泣き叫ぶ声。
 噎せ返るような血の臭い。
 この血は、誰のもの?

 空腹に耐え、寒さに震え、消えない生傷を庇う。
 伸ばした腕は、何にも届かない。
 天を見上げても、光などありはしない。
 そして悟った。
 ここに、神はいないと。

 闇。
 泣き叫ぶ声。
 噎せ返るような血の臭い。
 この血は、誰のもの?

 迫り来る恐怖。
 逃げ場なんてない。
 助けを請える者もいない。
 祈りは届かない。

「悪魔」

 誰かが呟く。

 足下に転がっているのは、何?
 この身を汚す赤は、己の血か、それとも。

「悪魔」

 どうして?
 どうして、そんな目で見る?

 血に染まった手。
 この血は、誰のもの?

「悪魔」

 違う。
 こんな結果を望んだんじゃない!


「おい」

 何も知らない。何も解らない。
 ただ怖くて。
 どうしようもなく怖くて。

「悪魔!」

 違う。違う違う違う!

 闇。
 泣き叫ぶ声。
 噎せ返るような血の臭い。
 この血は、誰のもの?



「いい加減にしろ」


 コ ノ 血 ハ 誰 ノ モ ノ ?


 不意に頬を叩かれて、鉛の海に沈んだ意識が浮上していく。
 激しい頭痛と眩暈を振り払いながら瞼を抉じ開けると、視界に「赤」が飛び込んできた。
「うわあぁッ!」
 錯乱したカイは、忌々しい「赤」を毟り取ろうとした。
 が、その直前で手首を掴まれる。
「何の真似だ」
 低い静かな声と、手首を捕らえる強い力。そこで漸く頭が冷えた。
 目の前にいるのは、勝手知ったる炎の男。
「……ソ、ル」
 カイの瞳が間違いなく己を映したのを確認し、ソルは腕を放した。それに伴い、カイも男のヘッドギアに伸ばした手を引く。
「夢、か」
 汗で額に張り付いた前髪を掻き上げ、カイは長い溜息をついた。
 ここはまだ森の中である。夜の冷気が、火照る顔から熱を奪ってゆく。目の覚める気分だ。
 そう。あれは、ただの夢。
「お前、今日は様子が変だな。何かあったのか」
 率直に訊いてくる男に、カイは苦笑するしかなかった。
 結局、自分はこの男を相手に虚勢を張る事などできないのだ。それが悔しくもあり、怨めしくもあり、無意識の甘えが享受されるのを、心のどこかで嬉しいと思う──そんな自分に、益々苦笑いを深くする。
 いつから自分は、こんなにも脆くなってしまったのだろう。
 カイは少し逡巡してから、降参だと言うように口火を切った。
「……大した事じゃないんだ。今回の事件の知らせを聞いて、現場に駆け付けた。いつも通りだ」
 幼い子供という社会的弱者が被害に遭っていると聞き、居ても立ってもいられなかった。それだけの話。
 強者が弱者を虐げる世なんて間違っている。力を持つからこそ、持たない者を護らなければならないはずだ。──それが理想論でしかない事も、身に染みて解ってはいるけれど。
「でも、許せないと思うと同時に、ある感情に気が付いた」
 何だと思う? と、男を見上げる。
 今回が初めてではない。ただ、今までは気付こうとしなかった。目を逸らしてきたのかもしれない。
「何だ」
「──『悦び』」
 形の良い唇の端を吊り上げるカイ。その瞳は虚ろに揺れている。
 男は僅かに眉根を寄せた。
「血腥い結末の予感はしてた。必ず少なくない犠牲者が出る事も。でもあの時、確かに私は『戦い』に赴く事への『悦び』を感じてた」
 そう気付いて、愕然とした。
 生きる事は、戦う事。世知辛い日常を生き抜くのも、一種の戦いである。慌しい毎日。目まぐるしく変化する世の中。絶え間なく発生するトラブル。時間に追われ、忙しなく明け暮れる間に季節が巡っていた、なんてざらだ。
 だけど。
 ずっと駆け続けてきて、ふと立ち止まって振り返る。
 時折、懐かしくなる。あの頃の戦場が。
 緊迫した空気。焼け付く焦土。研ぎ澄まされる感覚。剣を振るう昂揚感。生死の駆け引き。
 己が流す血と、それより多くの返り血を浴びて。
 そうして得た勝利の達成感と爽快感。
「可笑しいだろう? 戦いを終わらせる為の存在が、次の戦いを求めてる。この手が血で穢れる事に歓喜している」
 戦争の不毛さを、齎す憎しみや悲しみを、知っているはずなのに。
 「赤」の記憶。それは憎悪と喜悦を蘇らせる。
 カイは力なく嗤った。

「悪魔」

 その通りだと思う。ここにいるのは、偽善の仮面を被った悪魔。
「この世に争い事なんてなくなればいい。全ての人々が平和に暮らせたらいい。心からそう願ってる。でも、戦場を失ったら、私は生きていけない」
 それが、戦場で生きる者の宿命。
 戦いの中でしか己を見出せない者の性。
 長い間、戦乱に苦しめられ、やっとジャスティスの悪夢から解放されたというのに。その悪夢を『失った』事によって、どうしようもない渇きに襲われる──この矛盾。
 聖戦の痕跡は今でも、様々な場所や場面に影響を及ぼしている。この心にも。
 きっと自分は、戦争の残り火なのだろう。今の世には必要ない。
「ソル……お前も、そうじゃないか?」
 戦争が終結し、存在意義を失った戦士達は、その闘争本能を合法的に社会に当て嵌めて、何とか時代に順応している。
 男は賞金稼ぎとして。自分は警察官として。
 男にとっての真の戦いが、まだ終わっていないのは知っている。それでも。
「お前も私も、同じだから」
 カイは笑ってみせた。縋るような悲痛な眼差しで。
 男も自分と同じ、戦う者としての宿命を背負っているから。
 カイは、男の返答を待った。一秒一秒の沈黙が棘となって胸に刺さろうとも、その痛みに耐えて、待った。
 男と共に在る戦いの記憶が、今の自分にとっては唯一の寄る辺なのだ。
「──お前は、違う」
 やがて与えられた、男からの拒否の言葉。
 途端、カイは一人取り残された子供のように心細い目をした。
 男の指が、カイの頬に触れる。──それは、拒絶ではなく。
「お前は、涙を忘れてねぇ」
 そこに伝う雫の軌跡をなぞり、目尻に至る。
 カイが戸惑ったように目を瞬かせると、その度に長い金色の睫が男の指先を擽った。
「修羅道に生きる者同士で傷を舐め合うつもりか。お前は、傷を言い訳にして逃げるような奴だったか?」
 どれだけ涙を流そうとも、傷や重荷が増えようとも、決して逃げたり目を背けたりしない。頑固なほど真っ直ぐで強情で、そして高潔。カイ=キスクとは、そんな人物であったはず。
「忘れてしまえ」と男が笑い飛ばした時。彼は首を横に振った。
 痛みを切り捨てる事では何の解決にもならない。全てを受け止め、それらを強さに変える事が大切だと。辛く苦しい経験も、生きる糧にしていきたいと。そう言った。
 人々が絶望の中で希望を見出した聖戦の英雄は、決して倒れない大きな壁のような存在ではなかった。たとえ傷付き、倒れたとしても、諦めない勇気とそこから立ち上がる強さを持つ、小さな少年だった。
 恐ろしく強固なギアに対し、生身の人間は脆く、儚い。しかし、挫折を乗り越える度に強くなっていく彼の姿は、希望を捨てた男にさえ限りない可能性を感じさせた。
 だから、お前は俺とは違う。
 お前は、俺の所まで堕ちてくるな。
「戦う事が運命なら、お前の信じる道で、お前の望む未来の為に戦え」
 カイは頷いた。何度も、何度も。
 男の首を掻き抱いて、嗚咽の声を漏らしながら。


 嘗て、約束した。
 大切な人々を護れるように、強くなると。
 誰もが安心して暮らせる、平和な未来を創ると。
 どれほどの困難が立ちはだかろうと、希望を忘れないと。


 何を迷っていたのだろう。
 そう誓ったのは、他でもない自分自身なのに。
「……すまない……」
 絞り出すように紡がれた、小さな謝罪の言葉。
 そして、カイはもう一つ伝えた。
 ありがとう──と。心から。

 長い夜が明けようとしていた。




 後にソルは、こんな事を小耳に挟んだ。
 あの事件以降、市民から地元の警察に「ここまで被害が出る前に、何故もっと早く解決できなかったのか」との苦情が寄せられたらしい。警察の怠慢である、と。
 困った時には他力本願で縋ってくるくせに、事後になってからあれこれ難癖を付けたがるのが大衆というものか。
 報われない商売だとは思う。
 だが、そんな人々の声にも素直に耳を傾ける人物を、ソルは知っている。
 もしあの青年の耳にも届いているのなら、彼は真摯に反省するだろう。
 そして悩み、迷い、克服し、更に成長していくだろう。


 今日も、あの生真面目な青年は、世の為人の為に東奔西走していることだろう。




-END-