【BL系ショートストーリー】
カイとディズィーの会話から始まる話。
少し裏的表現を含むので要注意。
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部屋の明かりも点けないまま、ベッドの上で膝を抱える。
窓の方をぼんやりと眺めていると、外は意外なほど明るいと気付いた。
深い蒼の月光が射し込む寝室。手を伸ばしてみると、輪郭ばかりではなく立体感まで目で確認できる。逆に、影になった部分は不気味なくらい真っ黒だった。
そんなどうでも良いことに感心して、思わず苦笑が洩れる。
カイは更に小さく蹲り、顔を埋めた。倦怠感はあるが眠る気にもなれない。
「起きてたのか」
ノックもなくドアが開き、バスルームから戻ってきた男が、そう一言。先にシャワーを浴びたカイは既に眠っていると思ったらしい。
視線だけで男を見遣ると、いつもの白いジーンズのみを着用した姿が映る。肩に掛けたタオルで髪を拭く仕種は、ほとほとぞんざいだ。鍛え抜かれたしなやかな上半身は惜し気もなく晒されていて、先程までその肉体に抱かれていた事を思い出してしまい、カイは赤面した。
「……シャツぐらい着てこい」
誤魔化すように気の無い非難を寄越し、目を逸らす。
男がそれに従うはずもなく。見せ付けのように悠々と近付いてきて、ベッドサイドに座る。躊躇いもなく伸ばされた大きな手は、カイの金の髪を緩やかに撫でた。
その小さな子をあやすような手付きに文句を言いたくもなったが、ただ少し、遣る瀬無い気持ちになったのも事実。カイは殻に閉じ籠るような姿勢のまま、されるがままに身を委ねた。
無骨な指が耳の後ろから項を撫でると、甘く掠れた声が上がる。喉を反らして上向けた顔、その細い顎を掬い、強引に唇を奪う。そのまま押し倒し、ベッドに沈んだ華奢な躰に覆い被さる。唇を重ね、抉じ開けて、熱く濡れた口腔を侵す。自らの所有印を刻むように、何度も、何度も。
翻弄されながらも僅かに舌を差し出すと、強く絡め取られ、より深く交わる。空気を求めて喘ぎながら、吐息さえ奪い尽くすキスに溺れ、その熱に溶かされる。
求められると拒めない自分がいる。
普段はこちらの存在など意に介さない男が、こうして触れてくる時。少しだけ近付けた気がして、乱暴されても結局受け入れてしまう。迎合する気はないけれど、ただ、同じ位置に立ちたくて。対等になることを望んで、その背を追い続けてきた。
触れることも、触れられることも、彼は本来許さない。――その宿命故に。
自分がそれらを許されるのは、容認されている証拠だと。
男の身勝手な戯れをそんなふうに捉えられるなんて、自分もどうかしている。手を伸ばしてくる時は、いつだって気まぐれで。興が殺がれれば平気で突き放してくるのに。
唇が離れると、視線が合う。紅い瞳に宿すのは、こんな時にしか見せない満ち足りた光。飢えた獣のような獰猛な眼光も、その奥に秘めた無言の慟哭も、この時だけは鳴りを潜める。
だが、目の前には、露になった額が。
そこに在る『刻印』が、逃れられない現実を無情に突き付ける。――彼は、ギアなのだと。
彼女が悟ったように、この『刻印』も男の一部だと得心できたなら、どんなに楽になれるだろう。全てを分かち合いたいと願うのは傲慢かもしれないが、互いを認め合った上で互いが主張できることが対等というものだと思うから。
しかし、己の過去が、それを許さない。
それを認めてしまえば、過去を否定することになる。信条も。誓いも。託された命も、屠った命も。殺人者としての罪も。
それだけは、出来ない。
栄光や名誉に価値はない。英雄という紛い物の偶像も、寧ろ壊してしまいたい。しかし、これだけは忘れてはならないのだ。何の為に、自分が生かされているかを。どれだけの犠牲の上に、この命が在るのかを。
下らない感情で、生涯の使命を見失う訳にはいかなかった。
「………」
男は徐に身を起こした。カイに背中を向け、ベッドサイドで足を組む。
「ソル?」
名を呼んでから、気付いた。無意識に額を凝視し、怯んでしまったのだ。
彼が最も嫌うことをした。
「ソル、すまない」
カイは慌てて跳ね起き、謝罪した。
『刻印』が在るからどうだというのだ。今更、何を戸惑っている?
好敵手だと言った。どれほどの隔絶が立ちはだかろうとも、諦めずに足掻き続けると言った。
なのに、今更『刻印』に脅えるなんて!
未だ迷いを振り払えない不甲斐ない自分を赦してくれとは言わない。ただ、ともすれば相手への侮辱にもなる己の態度を詫びたかった。
「何を謝る」
だが、男はカイに謝罪の余地さえ与えない。
「もう寝ろ」
声に怒りはなかった。寧ろ自虐的な響きさえ感じ取れて、それが余計に哀しかった。
自分には、何も出来ないのか。遠くから彼の背を眺めることしか出来ないのか。
男が立ち上がる。
――どこへ?
無造作にポケットを漁る。煙草でも吸う気なのだろう。
――待て。行くな。
ドアへ向かう。振り返ることもなく。
――行かないで。
ドアが閉じられる。
カイはドアを見つめたまま動けなかった。時間さえ止まってしまったかのように。
そうだ。この手には、彼を引き留める力はない。
長い溜息と共に全身の力が抜けて、投げ遣りにベッドに倒れ込む。
男はいつも、何も話さない。
それが彼らしさなのだと言い聞かせてきたけれど。
どれだけ躰を重ねても、繋がらないものがある。埋まらない溝がある。
彼が拒否しているのは、彼自身。激しすぎる自己否定・同族嫌悪は、永い旅の中で純化され、渇望のように彼を突き動かす。人間としての精神を蝕み、摩耗させながら。
故に、人間ではないと自覚する部分が、人間との接触を拒むのだ。
少なくとも彼は、互いの領域を踏み躙るような関係は望んでいない。だから尚更、彼の素性に触れることに、互いが神経質になってしまう。
こんなままでは、とても対等になどなれないではないか。
『皆さんと本当に仲良くする為に、ありのままの私を見てもらいたいんです』
彼女の言葉が、胸に重く伸し掛かる。
ギアは人間を殺し、人間はギアを殺す。そこに共存という文字はない。――以前はそう考えてきた。
しかし、彼女は苦難の果てに、ギアとしてではなく人間として、新たな生き方を見い出した。
そうして自己を肯定できるようになり、これまで否定してきた「ギアとしての自分」も受け入れられるようになった。きっと、そういうことだろう。
羽があったり尻尾があったり、周りの人達とは違うけど。でも、喧嘩する切っ掛けになっても、仲良くなる切っ掛けには関係ないから。いつか必ず、分かり合える日が来るから――
カイはきつく目を閉じた。
ありのままに生きるのは、どれほど困難なことか。
殊に、ずっと大人達に囲まれて育ったカイにとっては。
強者に媚び、弱者を切り捨てる。利害の一致で団結した者達が、明日には裏切り敵対する。相手を丸め込み、蹴落として、自分が有利になればそれで良い。そんな風潮に、カイは嫌悪し反発してきた。無論、財界との癒着が甚だしい上層部からの風当たりは厳しく、手酷い仕打ちを受けたことも少なくなかった。それに対する防衛手段も、苦い経験を元にして身に着けている。
だが、カイも全く潔白であった訳ではない。部下には死を促し、危険因子は尽く潰してきた。綺麗事だけでは誰も救えない。本当は苦しくて仕方がなかったのに、それが最善だと自己欺瞞させて。――いや、苦しかったと自覚するようになったのも最近になってからだ。
それだけ狂信的だったのだ。より多くの人々を護れるならと。その為なら、己の手を穢すのも厭わないと。
自分のどういった状態が「ありのまま」なのかさえ、見失っていた。
だから、せめて彼女には。
作り笑いなんか憶えないで。堅い殻なんか築いてしまう前に。純粋な心を失わず、彼女らしく生きてほしい。
人はこれからも、彼女を疎むかもしれない。蔑むかもしれない。傷付くこともあるだろう。衝突もあるだろう。それでも、彼女にはもう、信頼すべき仲間がいる。きっと、乗り越えられる。
――なら、彼は?
翌朝、やはり男は姿を消していた。
軽い失望と安堵が滲み出す胸を押さえ、カイは定刻通りに起床した。
あの後、追い掛けるのも待ち続けるのも未練がましくて惨めなので、すぐ眠ることにしたのだが。
当然のように眠れなかった。
鈍い頭痛や身体の痛みと格闘しつつ、ぼんやりした意識を覚ますべく洗面台に立つ。鏡を見たら、目が充血していた。寝不足の所為か頬が少しこけている。喉が痛くて、碌に声も出ない。
まるで残骸だ。
(……こんな姿は見せられないな)
少なくとも、アイツには。
あれから顔を合わせなくて良かったなどと考えるのは、単なる負け惜しみなのだが。
これでまた、出直しだ。
いつまでも夜の底で蹲っている訳にはいかない。眠れても眠れなくても、夜は明けて、朝は訪れる。
次に会う時は、もう少し歩み寄れたら良いと思う。
彼とも。彼女とも。
取り分け彼とは、いつ会えるという保証はどこにもないが。
そうして、冷たい水で洗顔を済ませて顔を拭いていると、首筋に残る赤い痕を見付けてしまった。
「あの馬鹿っ……」
目立つ所には付けるなとあれほど!
怒りと羞恥で真っ赤に火照った顔を、鏡はありのままに映し出す。それに気付くと、すぐに頭が冷えた。去った者に憤怒をぶつけるのも無謀だ、ここは手早く身支度を進める方が賢明だろう。立ち襟の制服でどこまで隠せるか――全く、余計な苦労をさせてくれる。
すぐに消える痕ではあるけれど。
そうでなくとも、多くの傷痕を持つ身だ。本当は、今更この程度で騒ぎ立てる謂れはないのだ。
――でも、気付いてるか?
どれだけ無視しても隠しても、魂に刻まれた傷痕は消えないんだ。
一方、驚異的な回復力を持つ男は、目に見える傷痕を持たない。いくら傷付けられても直に癒えるという昏い諦念からか、怪我には無頓着で、重傷を負っても平気で放置する。
『傷は消える。どうせ壊れやしない。一方的に破壊する側だ』
(違うよ、ソル……)
目に見える傷が全てではない。人間が心を持つ限り、それは必ず傷付く。表面には何も残らなくても、魂は痛みを知っている。だからこそ、喜びや希望が輝いて見えるのだ。
痛みを直視するのは本当に辛いけれど。忘れたい事もあるし、隠したい事もあるけれど。
でも、何もかも捨ててしまったら、そこで終わりだ。
(お前は、ギアである前に――いや、ギアであると同時に、人間なんだから)
だから、ソル。
逃げるな。諦めるな。目を逸らすな。
人間でない事実を忘れられなくても、人間でない事実に囚われないように。
そして、私も。
いつか必ず、そこまで行くから。
何があっても屈しないように、強くなるから。
お前の痛みも嘆きも受け止められるように、強くなるから。
「……ぁ……」
今になって、涙が溢れてきた。
悲しい訳じゃないのに。大粒の滴が零れ落ちるのを止められず、カイは狼狽えた。
「……ぅ……く……」
ああ、早く支度しなければ。
頭は妙に冷静なのだが、口を開けば咽び泣いてしまいそうで。口許を強く押さえ、唇を噛み締める。
頬に伝い落ちる涙は、あたたかかった。
対等になりたい。
そこまで辿り着きたい。
何より、相手に誇れる自分でありたい。
そしていつか、お前を――
-END-